KATO YUMA
- 美容師/オーナー
- 加藤侑真
01
負けず嫌いだった学生時代
1988年2月19日湖西市新居町という関所のある田舎で生まれる。
とにかく幼少期から身体が弱く、母親から「電話が鳴るとまたか…と思った」とよく言われました。
小学校時代、身体も小さく弱かった為、いじめにあった事で中学では強くなろうと柔道を始めました。
中学校最後の大会一週間前には、部活の練習中に指の骨を折り、「大会に出れずに終わった…」と思っていたら顧問の先生に呼ばれ「お前、出るよな?」と言われ骨を折った状態で大会に出る事に。この頃から負けず嫌いでした。
中学2年生の頃、母親に「お母さんは美容師になりたかったけど実家が床屋だから反対されたんだよね」というのを聞いて「それなら僕がなる!!」と思い美容師になることを決意しました。
高校でも「とにかく美容師になる」という思いは変わらなかったので、高校は卒業しないとという思いで頑張っていました。
02
美容師への憧れと決意
美容師といったら東京でしょ!!と思っていたので、高校を卒業したら東京出る気まんまんだったのですが、あまりお金に余裕のある家ではなかったので、そもそも美容の専門のお金すら払ってもらえない状況になるのでは思いました。しかし美容師にどうしてもなりたい!と思っていた矢先に、父から通信で働きながら自分で払っていける専門学校があるみたいだとの話を聞き、これなら美容師になれると思い決意しました。
これを決めたのが高校卒業ギリギリだったので、通信に行くには美容室で働く事は必須だったので、高校に来ていた募集のサロン2件、その中で多店舗で浜松にもお店があるところが良さそうだなと思い面接を受け合格することが出来ました。
03
美容師人生のスタート
ここからが僕の美容師人生のスタート。
想像以上の大変さでした。とにかくお金も時間も睡眠時間もない、普通美容師は、専門学校を2年で卒業してからサロンで働きますが、専門学校とサロンを両立していくので、働きながら学校は休みなく行きました。また給料の半分は湖西から磐田までの往復70kmのガソリン代と学費で飛んでいきました。
04
独立の決意と想い
しかし大変な日々でも何とかスタイリストになることができ、デビュー後には過去最速で指名を3ヶ月連続でジュニアスタイリストのトップになるという記録をつくることができ、ここからは運よく店長、マネージャーとなり、全店の中でNo.1のスタイリストになりました。とても楽しく日々を充実していましたが、「自分が目指していた美容師ってこんなだっけ?」と考えることも多くなりました。
この時初めて独立を考えるようになりました。
「一人一人のお客様としっかりと向き合わせて頂きたい」
これが原点だと言うことに気づきました。
そして自分自身、髪はクセ毛、そして身体も弱く病弱だったため、ケアや食事などの勉強をしていく中で自分と同じような悩みをもった方達を少しでも改善し、幸せなライフスタイルを送れるようなお手伝いをしたい、そんな思いからリアンをオープン致しました。
リアンの目標は悩みを持たれたお客様を改善し、10年後、20年後も楽しく過ごせるような生活をお送りできるお手伝いをさせて頂くことです。
自分と関わるすべての方をハッピーにできたらと思っております。